歴史から何を学び、どのように活用するのか
「温故知新」と孔子はいった。「故」とは「歴史」のことで、「温」とは「復習する」ことらしい。つまり、歴史を学ぶことで新しい知識を得るという意味である。
その意味は分かるが、具体的にどういうことなのかは、学生の時分は分からなかった。
だが、最近その本質的な意味が少しずつ分かるようになってきた。「過去にも同じような事例が何回かあったな」と、ニュースなどを観ながら思い返すことが多くなったからだ。
おそらく、この故事成語の根底にある発想は、「歴史は繰り返す」
そこで、歴史から何を学び、どのように活用すべきかを学ぶために
『歴史からの発想』
著者 堺屋太一
元通産省官僚(経済企画庁長官、内閣特別顧問など歴任)。作家(
【参考になった点】
■戦国時代は超高度成長期だった
日本史において16世紀は群雄割拠の乱世といったイメージが強い
戦国時代の発端は「応仁の乱(1467)」である。当時の中央政
これによって伝統や家格といった価値が低下し、時代は自由競争社
この頃、明や高麗から新技術が伝わり農耕具の改良、耕作方法の改
豪族は次第に支配力を高め、富
つまり、旧社会体制が崩壊し、自由競争が始まり、そして文明、経
■歴史からみる「勝てる組織」とは
◉勝てるリーダー織田信長
信長が行った主な政策
・宗教的権威、伝統的価値の排除
・能力主義的人材登用
・楽市楽座の奨励
・兵農分離
上記にとおり、信長はこれまでの既成概念にとらわれない政策をお
しかし、信長はゆるぎなく実行し徹底して行ったゆえに、最大領土
◉世界帝国を築いたジンギス・カン
ジンギスカンが行った主な政策
・大量報復戦略
・秘密警察
・宗教の自由
これらは世界史上、類を見ない画期的三発想といわれる。
大量報復戦略とは、統治した都市で反乱が起きた場合、何十万とい
また、秘密警察とは、侵略先の事前調査を
このジンギスカンという人物も信長と同じように、
【まとめ】
冒頭において「歴史は繰り返される」と述べた。しかし、時代は変
技術の進歩、資源の状況、自然環境など過去と現在、全く同じ状況が
だが、歴史の要
「歴史の父」ツキディデスは言った「今後も、人間性の赴くところ
つまり「歴史」とは、「人間学的事例集」であり、その不変なる人
〈追記〉そういえば、ジョブスって信長タイプのような。。
ふつうとはなにか?個性とはなにか?
「どうしてみんなと同じようにできないの?」「もっとふつうにできないの?」
よく聞いてきた言葉ではないでしょうか。わたしたちは幼いころから他人と比べられ、競争をして生きています。それが当たり前のことだったから、あまり疑問に思わなかったというのが率直な感想ではないでしょうか。
しかし、社会は高度で複雑になり、役割分担もわかりにくくなりました。そんな時代に「みんなと同じ」とか、「ふつう」とかいう言葉にあまり意味がなくなったように思います。そこで今回、ふつうとはなにか?個性とはなにか?について、答えとなるような本がありましたので読んでみました。
『はずれ者が進化を作る』
著者 稲垣栄洋。静岡大学教授。農学博士。雑草研究者。
生物学的な観点から、ふつうとはなにか?個性とはなにか?について語られています。
【参考になった点】
■ふつうとはなにか?
と、そのまえに以下の数字を覚えてみてください。
356
簡単ですね。
それでは、次の数字を覚えてください。
5 6 3
1 6
4 2 7
この問題からいえることは、人間の脳はたくさんある状態やバラバラなことが苦手ということです。人間の脳は高度なようで、これくらいの数字しか把握できないのです。
地球には約77億の人がいて、3000万種の生物が生息していると言わています。
私たちが住む自然界は、人間の脳が理解するには複雑で多様すぎるのです。
そこで人間は、この「たくさん」や「バラバラ」といったものを理解できるように工夫をしました。その例として、さきほどの2番目の問題を小さい順に整列させてみます。
1234567
これで、理解しやすくなりました。
では、これはどうでしょうか。
どれが大きいですか?どれが中くらいでしょうか?
🍎 🍎
🍎
たぶん、どれかを基準に大きさを決めたのではないでしょうか。
つまり人間は、目の前の事象を単純に理解したいがために、並べる、数値化、優劣をつけるなどして管理しやすくしたのです。その指標として「平均」という「ものさし」を作りだしました。これが、世間でいう「ふつう」という概念ではないでしょうか。
しかし、これは人間が勝手につくった「ものさし」であって、自然界においては、ふつうという概念は存在しないということです。たとえば、ポニーという動物がいます。ポニーは大きいでしょうか?小さいでしょうか?結論をいえば、ポニーはポニーです。小さいと考えたのなら、馬などと比較したからではないでしょうか。まさに、ふつうとは幻想ともいえます。
■個性とはなにか?
現在、世界の人口は、およそ77憶人といわれています。さて、私と同じ人間は、この世に存在するのでしょうか。理論的に考えてみます。
ヒトの遺伝子は約2万5千です。その遺伝子が集まり46本の染色体を形づくっています。この染色体は、2本で1組の対となるため、染色体は計23対となります。子供は親から、この1対につき2本ある染色体のどちらか1本を引き継ぎます。このように染色体の引継ぎを、父母各々で23回繰り返します。すると70兆を超える組み合わせが存在します。しかも、染色体を選ぶ過程で染色体と染色体のあいだで一部交換が起こるというのですから、組み合わせは無限大です。
つまり、この世には同じ人間というものは存在しないということです。また、どこかひとつ違っても私という人間は生まれなかったということになります。
そして長い人類の歴史の中で、後にも先にも同じ存在はないのです。なぜなら私たちの親も同じように奇跡によって生まれてきたからです。その親の親もまた然りです。こうやって何億年と続く命の奇跡のリレーの中で私たちは生まれてきたということです。このことから、個性とは、ひとりひとりが全く違う存在で、多様性があると表現できそうです
■はずれ者が進化を作る
昔、オオシモフリエダシャクという白い蛾(が)がいました。この蛾は白い木の幹に止まって身を隠します。しかし、突然変異で黒い蛾が生まれました。(はずれ者です)
それからしばらくして近所に工場ができました。その工場の煙突から出るススによって木の幹が真っ黒になりました。すると白い蛾は目立ってしまい鳥に食べられ絶滅。黒い蛾だけが生き残りました。
これは一例ですが、生物の世界では環境に適応したものが生き残るようになっているそうです。例外的に生まれた黒い蛾は、人間がいう平均から大きく離れた「はずれ者」でした。しかし、環境に適応したわけです。また両生類であるトカゲは、古代は海の魚でした。トカゲの祖先は海の中の激しい生存競争から、陸上に生活の拠点を移しました。陸上への道のりは決して容易ではなかったはずです。何度も傷を負い、苦しみ、代々進化し続け、陸地へ這い上がることでオンリーワンの存在となったのでしょう。私たちの社会でも同じではないでしょうか。勝者は戦い方を変えませんが敗者は戦い方を変えていきます。考え続け、工夫を重ね、変っていくことで、オンリーワンのポジションを確立します。そして、それが次世代の「標準」となります。これまでの人類の長い歴史を振り返っても歴史を作った人物は、皆はずれ者ではなかったでしょうか。
【実行したい点】
■No.1になる方法
まず、どのフィールドで戦うか模索します。(競争の激しいフィールドは避けた方が賢明です)孫子の兵法のように「戦わない(=戦略)」をフィールドにするのもありだと思います。フィールド探しのヒントとして「ニッチ」(すき間)に着眼することを著者は提案しています。
<ニッチ探しのポイント>
①得意なことをする
②小さく絞り込む
③フィールドは自分で作ってしまう
④今の得意フィールドから少しだけ違う分野にシフトする(ニッチシフト)
ニッチでチャレンジを続ける→オンリーワンになる→ナンバーワンになる
参考にしたいです。
■自分らしさをみつける
まず、他人が私に言う「らしさ」を疑ってみることです。人間の脳は、あなたの複雑さなど理解したくないのです。だから単純に理解しやすいように自分のものさしで「〇〇な人」と決めてしまいます。果たして他人はあなたをどの角度から見ているでしょうか?
たとえば、「ゾウはどんな生き物ですか?」と聞かれると、たいていは「鼻が長い動物です」と答えます。でも、ゾウは100メートルを10秒で走る、足の速い動物でもあるのです。だから、今まで他人から着せられてきた「らしさの鎧」を脱ぎ捨て、らしさの鎧を着ていなかった幼い頃の自分の記憶を掘り起こしてみましょう。そこにきっと自分らしさがあるはずです。そして、それこそが自分の強みではないでしょうか。
■敗者が進化する
これまで述べたように進化するのは敗者です。しかし、ただ負ければよいというものではありません。負け方が大事と述べられています。
<負け方のポイント>
①勝てそうか負けそうか見極める。負けるとしたら無理せず負ける。
②負けても次にチャンスがある負け方をする。
そうやって無理をせず小さな勝ちを繰り返します。このような小さなチャレンジを繰り返すことが自分自身の成長へつながっていくものだと思います。
【まとめ】
生き物の世界における「個性」とは他人とは違うということではなく、一人一人が全く違う存在(多様性)であるということです。あなたは唯一無二の存在であり「ふつう」という概念は、誰かが作った単なる幻想だということです。
無意識こそ真の自分の姿
人にはいろんなクセというものがあります。自分では無意識でしていることが他人から見たら滑稽に映ったりすることがあります。たとえば、なぜここで靴下を脱ぐの?なぜ電池を買いに行ったはずなのに、お酒だけを買って帰るとか。私自身も歩きながら歯磨きする変なクセがあります。そこで「無意識とは何か?」また「効果的な脳の使い方とは?」について、疑問に思ったので『脳には妙なクセがある』という本を読んでみました。
著者は、東京大学薬学部教授で脳研究者である池谷裕二氏。脳科学の視点から「よりよく生きるとは何か」を追求し、「楽しくごきげんに生きる」を研究のテーマとしてアウトリーチ(社会に有意義に還元する)活動をされている方です。
【参考になった点】
■他人の不幸は蜜の味
脳に側坐核という部位あり、妬みや劣等感を感じるとその部位が強く活動するそうです。また面白いことに不安感情を抱いた時もその部位が強く活動することがわかっているそうです。
このことから不安を強く感じるときは、他人と自分を比較していて、自らが不安を作りだしているそうです。また、この側坐核は「快感」を生み出す部位であり、ヤル気やモチベーションアップにも深く関与していて、ヒトは他人と比較することで優越感に浸る一方で、不安感を募らせてしまう性(さが)にあるようです。だから私は他人との比較にこだわらず、自分の信念や自己ベストといったものを大切にしたいと思いました。
■笑顔を作ると楽しくなる
ドイツのミュンテ博士の論文によると、割り箸を横にくわえ口角が上がった状態(笑顔の表情)で「楽しい」と「悲しい」を連想させる複数の単語をランダムに配置し分類させる実験をしたところ、笑顔の表情を作った状態では「楽しい単語」を見つける時間が「悲しい単語」を見つける時間より短かったことがわかったそうです。つまり笑顔を作ることで楽しいことを見出す能力を高まったということです。また恐怖の表情を作ることにも同じ作用があり、恐怖の表情を作ることによって、恐怖の感情にスイッチが入るということがわかっています。これを「顔面フィードバック」効果と呼ぶそうです。また、表情以外にも姿勢にも同じことが言えます。背筋をピンとして姿勢を正すと自己肯定感が高まるそうです。このことから、感情起因よりも身体を起点とする働きかけが、精神や身体に与える影響は大きいと述べられています。「笑う門には福来る」とはよく言ったものですね。
■脳科学的に「頭がいい」の定義
筆者が考える「頭のいい」の定義とは「反射力が的確」であることと言っています。反射力とはその場に応じた適切な行動が取れる能力のことです。アメリカのバラバシ博士の実験(携帯電話の位置情報履歴から)によると、ヒトの行動パターンの80%は、おきまりの習慣に従っているということがわかりました。実はヒトは自分の意思で自由に行動しているようで、現実は無意識に活動パターンは常同化しているそうです。つまり、ヒトの「真の姿」というものは、無意識の自分(=クセ)といっても過言ではないでしょう。このことから、日頃の無意識の自分が、私たちの反射力を養っていると言えそうです。
【実行したい点】
■効果的な勉強法
出力(アウトプット)重視の勉強法が最も効果的であるということ。入力と出力の繰り返しが長期的に安定した情報を保存できるということが実験により実証されています。例えば、資格試験などは参考書を読み込むより、問題集を繰り返しやる方が得点アップの近道とよく言われます。要は情報は何度も入れ込むより、何度も使うことが学習効果が高いということです。参考にしたいです。
■アイデアに煮詰まったとき
アイデア着想の王道に「怠惰思考」というものがあるそうです。
アイデア着想までは、以下のような流れになります。
課題直面 → 課題の放置を決断する → 休止期間をとる → 解決策がふと思いつく
※アイデア創造のためには相応の熟成期間が必須となります
※課題には一通り目は通すことも大切です
■身体運動を伴う学び方
(マウス実験より)受動的な活動より、能動的(身体性を伴う)活動がニューロンを10倍強く活動させていました。つまり身体性を伴う学習方法は科学的に効果が高いと言えます。
この例より、ただ本を読むより、発声、書く、聴く(NLPのアンカリング活用もいいかも)など身体性を伴った学習方法が脳を活性化させるので今後実践したいです。
【まとめ】
脳を効果的に使うためには「よい反射(クセ)」を身に付けることである。そのためには過去にどれだけ「よい経験」を積んだかが重要である。そして、その「よい経験」こそが脳を最大限に活かす生き方といえる。
(補足)「よい経験」とはどのようなものか、本書では記述されていませんが、私は良識なものを知る、観る、聴く、よい人と付き合うなどと解釈しています。
なぜあの人には話が通じないのか?
あなたの周りに(わかりやすく伝えているはずなのに)なぜか話しが通じない相手がいないだろうか?「(大変失礼ではあるが)バカなのか?」と思ってしまうことがある。そこで今さらではあるが『バカの壁』を読んでみました。
著者は医学博士で解剖学者である養老孟司。本書は2003年に出版され、ベストセラーとなり、同年の流行語大賞にもなった。遅らばせながら、本題のアンサー本となることを期待し、以下に結論をまとめてみました。
◉なぜ話しが通じる人と通じない人がいるのか?
その答えとなるのか以下の数式になります。
y = ax (y=出力、a=脳の係数、x=入力)
ここでいう「入力」とは、話し手の情報、「出力」とは聞き手の理解力
aは、脳の係数(聞き手の能力)共感力、想像力、感情、教養といったもの
ここで、この数式を使った例をあげます。
ある男性が女性に対して、赤ちゃんをテーマにして話したとします。
(数式にあてはめると、y=理解力、a=脳の係数、x=赤ちゃんの話題となります。)
一般的に言えば、「赤ちゃん」という話題は、男性に比べ、女性の方が共感や関心のある内容であるため、脳の係数は、a>1となる可能性が高くなります。
そのため、話し手の情報が確かで多いほど理解力が高くなることが想定できます。
しかし、理解力は個人の能力によってバラつきがでます。なぜならば聞き手のバックボーンが影響するからです。とは言っても「話が通じない」とまではいかないでしょう。また話し手の話力や能力も理解力に反映されます。まさにこの数式の意図するところです。
では、反対にこの話題を男性同士で話したとしましょう。
おそらく、女性に比べaは低くなると推測されます。そのため理解力も低くなり、全く話しが通じないまではいかないと思いますが、コミュニケーションは取りにくくなりそうです。
さて、私が出したアンサーはこのようになります。
話しが通じないということは、この2パターンになりそうです。
(1)aの係数が0以下(a<0)と考えられる
(2)xが正しく機能していない(意味不明な話題、もしくは話力がない)
(1)のパターンは、異文化同士の会話や幼児との会話など極端なケースもあれば、ただ聞き手の関心や教養などがない場合にもあてはまります。例えば、思想や宗教の違うイスラエル人とアラブ人で理解しあうことは困難です。ただ、大抵の場合は、知識と関心がない場合が多いと思ので、その場合は相手を選ぶことが賢明です。相手の選び方は、質問のジャブを打って反応を見てみてはいかがでしょうか。(2)の場合は、ひとまず自分が勉強しましょう。
<まとめ>
バカの壁とは、想像できるかできないかの違い。バカにとっての世界とは内側だけの世界を見ていて、向こう側の世界が見えていない。(向こう側の世界が存在していることすらわかっていない)そこが強固な壁となっている。つまりこれが「バカの壁」。また、よくいう「話せばわかる」というのは幻想や思い込みで、この思い込みのフィルターを外すために自らが考え方や教養を磨くことこそが、相手とのコミュニケーションを円滑にする手段になるということではないだろうか。
先延ばしのメリットについて
普段、仕事していると先延ばししたくなるような案件が必ずあります。特にプロジェクトが大きければ、なおさらのことです。そのプレッシャーから現実逃避するも、依然としてプレッシャーはかかったままでモヤモヤします。先延ばしすることは悪いことばかりなのか?という疑問を抱きつつ『先延ばし思考』という本を読んでみた。著者はスタンフォード大学の哲学教授。本書で「先延ばしには意義がある」と提唱している。(ちなみに本書の第1章エッセイで2011年イグノーベル文学賞を受賞)。さて、本題のアンサーとなるのか以下に本書の要約と感想をまとめてみました。
<要約>
◉なぜ仕事を先延ばししたくなるのか?
そもそもなぜ私のように先延ばししたくなるのか。その根本的な原因は、仕事に対し、 自らが完璧な仕上がり(100点)を求めている傾向があるため。
そして完璧さを目指すあまり、プレッシャーがかかり罪悪感や悩みが生じる。
その結果、仕事に手がつかないという事態が生じている。
◉仕事は完璧でなくていいという考え方が大切
そもそも物事はそう完璧にできない。また完璧にするには時間がかかるということを予め理解しておかなければならない。
◉先延ばしのメリットとは?
「物事はそう完璧にできない」と思うだけで、余計なプレッシャーが取り除かれ、いますぐ仕事に取り掛かることができる(これが「先延ばし思考」)。そして大事なことは「A」という結果だが、目の前の(Aの要素の)仕事「B、C、D…」などを片付けているうちに「A」が解決することがあるという。さらに余計なプレッシャーがなくなることで、自己肯定感が高まり、新たな発想(α)が生まれ、「A」+α→「A'」となる思わぬ副産物が期待できる。
<感想>
本書で述べているのは、先延ばしすること自体にメリットがあるというわけではなく、先延ばし思考によるメリットがあるということ。重要なことは、いま抱えている仕事は「完璧(100点)を目指す必要性があるのか?」と自問すると、たいていは完璧でなくても問題ないということだ。
確かにそうかもしれない。私ごとで恐縮ではあるが、自らの仕事の経験に置き換えてみると、結果的に完璧だったというだけで、上司にせよクライアントにせよ、そこまで期待していなかったことが多かったように思える。そんなこと(完璧さ)に労力を注ぐより、他のことに時間を使った方がより多くのことがこなせたはずだ。
また、本書で他に参考になったことは「自分が得意でない分野の仕事は、得意な人(それが好きな人)に頼めば、その人が興味があることなので自ずと解決する」という点。多少、他力本願的なところもあるが、それよりも自分の得意ジャンルに全力を尽くしたほうが質の高い仕事ができるのではないだろうか。
<教訓>
例えばの話だが、巨大な大理石から「ダビデ像のようにかっこいい彫刻を掘ってくれ!」と仕事の依頼がきたとしよう。いままでの私であれば、それを聞いてプレッシャーのあまり、ノミさえ持たないだろう。しかし、そんな時は、まずは人とわかるカタチまで掘れれば十分だと思うことにしよう。ダビデ像とまではいかないでも、意外にも「案外イケるかも」と思えるデザインが生まれるかもしれない。それに細かい所は、手先の器用な人(かつ興味のある人)に頼めば完璧でなくても、それなりのものができるかもしれない。
ただし、こんな依頼はこないと思うけど(笑)